数学における業績
微積分法をアイザック・ニュートンとは独立に発見/発明し、それに対する優れた記号法すなわちライプニッツの記法を与えた。現在使われている微分や積分の記号は彼によるところが多い。
しかし、それと同等か、あるいはそれ以上に重要な業績は今日の論理学における形式言語に当たるものを初めて考案したことである。彼によれば、それを用いることで、どんな推論も代数計算のように単純で機械的な作業に置き換えることができ、注意深く用いることで、誤った推論は原理的に起こり得ないようにすることができるというものであった。彼は、優秀な人材が何人かかかって取り組めば、それを実現するのに5年もかからないと信じていたようであったが、現実にはそれを実現するには300年以上を要した(論理学の適用できる範囲は限られているから、彼が考えたような理想には達していないと見るべきかもしれない)。彼は記号に取りつかれていた人物で、論理学以外にも、例えば幾何学について、記号を用いて機械的に証明をする構想を得ていた。
上記の事柄に含まれるが、2進法を研究したのも彼の業績である。彼は中国の古典『易経』に関心をもっており、1703年、イエズス会宣教師ブーヴェから六十四卦を配列した先天図を送られ、そこに自らが編み出していた2進法の計算術があることを見いだしている。
ドイツ出身の悲哀
ライプニッツは三十年戦争の後遺症がまだ残っていたドイツという後進国出身の悲哀を味わらなければならなかった。父は、ライプツィヒ大学の哲学教授で彼に幼いころから読書を教え、彼も14歳で同大学に入学し、2年後に卒業するが、当時のドイツの大学はイギリスやフランスに比べて立ち遅れていた。従ってライプニッツの理論を正当に理解・評価できる人はあまりいなかった。ライプニッツが外交顧問としてまた図書館長として仕えたハノーヴァーの選帝侯妃ゾフィー・フォン・デア・プファルツ (1630 - 1714) とその娘ゾフィー・シャルロッテ・フォン・ハノーファー(フリードリヒ1世 (プロイセン王)の妃)(1668 - 1705) とハノーヴァーの選帝侯妃の孫ゲオルクの嫁(1705年に結婚)のキャロライン・オブ・アーンズバック(のち、イギリス王ジョ-ジ2世の王妃、ドイツ語名はカロリーネ・フォン・アンスバッハ)(1683 - 1737) らは、この哲学者を尊敬した。1700年に王妃ゾフィーの招きでベルリンに行き科学アカデミーの創設に参加して、初代総裁に就任している。しかし5年後にゾフィー王妃が肺炎で死去すると、ベルリンはライプニッツにとって居心地のいい場所ではなくなってしまった。
ハノーヴァーでも1714年に選帝侯妃ゾフィーが死去し、息子の選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒが、同年にジョージ1世 (イギリス王)となってイギリス国王を兼任すると、キャロラインも皇太子妃となってイギリスに移住した。ジョージ1世は、ライプニッツを煙たく思っていたのでイギリスに連れて行くことはせず、ハノーヴァーに残された。ライプニッツは政治的な支援者を失い、周囲の空気は冷たくなった。晩年のライプニッツは侯家の家史編纂というつまらない仕事に携わり、ほかには自分を理解してくれる外国の学者や友人とひろく文通をかわすだけであった。その文通者は国内外あわせて千人を超えていた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ドイツ・ライプツィヒ生まれの大変有名な哲学者・数学者です。
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